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「至福は私自身だった」

第3回食べるヨーガ断食講座の感想を頂戴しました(その2)







こちらは今回ご参加をいただいた、智子さん(42歳)から、テキストを頂戴たものを、友永乾史が編集したものです。



智子さんは、通訳のお仕事をされています。



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「自分を労わりたいけれど、できずにいた」



ずっと自分の体との折り合いがつかなくて、あっぷあっぷしていた。ただただ、この断食プログラムの開始を心待ちにしていた。


自分を労わりたいけれども、やり方がわからない。いや、きっとわかっていたのだけれど、頭の何かの何かが邪魔をして、本当の意味で体を労わることができずにいた。


それを忙しさやストレスのせいにしていた。ストレスレベル高いんだから自分を労われなくて当然でしょ。


そう自分を信じ込ませていた。








プログラムが開始されて、ホッとしている自分がいた。もう、ストレスを言い訳に、食べ過ぎたり、飲み過ぎたりしなくても良いんだと。




「断食して、食べる楽しさを知る」



参加してから、食べることがより楽しくなった。よく噛んで食べることの素晴らしさよ。


最近は目を瞑って、噛みながら、食べ物を五感を使って楽しんでいる。たくさんではなくても、少しでも、体が喜ぶものを。


そう考えると、素材そのものや、調味料も体に良いものを選ぶようになった。できるだけ無農薬野菜を。無添加の調味料を。


ただこだわりすぎると苦しくなり、それはそれでサステイナブルではないので、できる限り、できるところから、とうまく折り合いをつけていきたいものだ。







「自分の身体は捨てたもんじゃない」



そして自分の体との付き合いも、もっと楽しく豊かなものになった。


私の体は捨てたもんじゃない。きちんと労わると、労わった分だけ同じレベルで反応がある。


私の中のエネルギー、こんなにあったんだ。自分自身の核の部分が、こんなにも強靭に、それでいて軽やかに、自分をドライブできるなんて知らなかった。


体内をリセットすることによって、自分の体のポテンシャルに気付けたことが、大きな収穫のひとつだったし、私はポンコツではなかった、そう自分で思えたことが、何より嬉しかった。




「至福は私自身だった」



「自分自身が最高の至福」院長先生の私の大好きな言葉のひとつだけれど、今回その意味を体感する道筋が示された気がして幸せだった。


いつも「なりたい自分」がどこか遠くにいる気がして、なりたいのに、辿り着きたいのに宝島には遠回りばかりしていた。


もがくばかりで、自分で自分の首を絞めるばかりの、なりたくない私が、実はもう答えそのものだった。もう探さなくても良い、ここにいたんだ。


至福は私自身だった。







「この感覚こそ奇跡」



乾史先生が、毎日お昼の時間帯に断食専用レッスンをしてくださった。


断食中は、驚くほど呼吸が深まり、体が当たり前のようにただそこで動き、心地よかった。


大海原にぷかぷか浮いて、ただただ流れに身を任せ、緊張感もとけ、ゆったりと動かされている感じ。


なぜだろう、ポーズもいつもより深まる気がする。そしていつもより集中力も高まっている。


ある日、シャバアーサナから目覚める際、乾史先生の誘導で手の親指と人差し指を触れ合い、感覚を確かめたのだが、その際に電気が走るというか、光が閉じた目の前に現れたような感覚があった。その瞬間にこの感覚こそが、奇跡なのだとつかんだ。


たった今自分が全身で得ている感覚が、すべては奇跡的でこの世のものすごいことなんだと。


私はこの感覚と共に生きていく、死んでいく。










「どんな高級化粧品よりも」



様々な変化は外にも現れた。どんな高級化粧品よりも、断食には美肌効果があると声を大にして言いたい。今まで肌トラブルに悩まされ、決して少なくない額を化粧品に投じてきたが、そしてそれを後悔しているわけではないが、断食をし、胃腸をリセットし休息を与えることが、何よりもの美容へのショートカットだと思う。




「強さと賢さ、強さと優しさ」



前述したように、断食を経て食べることがより楽しくなったし、より食に対して自由になれたと思っている。今までは、食べてはならないもの、食べたほうが良いもの、食べたら罪悪感があるもの等、自分の中で分断があって、その分断を超えることで精神的、身体的に非常に苦しんできた。今は、もっと自分の体に耳を傾けられ始めたと思っている。








ただ、体にとって正しいもの、良いものが必ずしも美味しいものだとは限らない、と今でも思う。


子供の頃、おばあちゃんが作ってくれたインスタントラーメンを友達とおやつに食べた時の味は忘れられないし(添加物に溢れていようが)、同僚と仕事帰りにストレスを洗い流すように飲むビールの喉越しは、このために1日頑張ったんだと真剣に思えるし(糖質満載だろうが)、西荻の老舗コーヒー豆店のおじさんが、丁寧に焙煎してくれたコーヒー豆を、こちらも丁寧に挽いて雨の日に入れるコーヒーは、何をもっても置き換えられない心に染みる味わい深さがある(カフェイン満載だろうが)。


この美味しいものに対して、今の自分の体は欲しがっているのか、それとも、習慣的に欲しいと思っているだけなのか、一呼吸おいて、そして自分よりにジャッジできる強さと賢さを、今の自分は少ずつ身につけられ始めているのだと思う。


情緒だけに流されないように。完璧ではない、これからも完璧にはできっこない。


できることをできる時に、めりはりをもつ強さと、自分自身へ本当の優しさをもつ。食べるヨーガ断食を終えて2週間、そんな心づもりでいる。



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智子さん、熱のこもったテキスト頂戴して、どうも有難うございます。


お仕事をされながらの断食なのに、日に日にパワフルに、充実して過ごされているを拝見して、拝みたい気持ちでおりました。


忙しい日々をお過ごしと思いますが、ヨーガと断食から得た賢さと優しさと強さで乗り超えて行かれると信じております。


スタッフ皆で応援しております!







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